エリア:但馬 / 養父市 / 朝来市

祝!日本遺産認定!「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」

更新日:2017年05月01日

平成29年4月28日、朝来市、姫路市、福崎町、市川町、神河町、養父市の6市町が申請を行った「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~」 のストーリーが、文化庁により正式に日本遺産として認定されました!

兵庫県の中央部播但(播磨と但馬)地域を南北に貫く、一本の道があります。飾磨港から生野、さらに中瀬に連なる全長73kmのこの道は、鉱産物、採掘・製錬に必要な資材、生活物資を届ける馬車が盛んに行き交いました。
飾磨港から道をたどると、鉱山と共生した宿場町、経営拠点が置かれた生野、道は生野から北へとつづき、神子畑・明延・中瀬の鉱山にいたります。
日本初の高速産業道路と言われる“銀の馬車道”は、明治9年播磨の飾磨港(現姫路港)と49km北の生野鉱山とを結ぶために造られた馬車専用道でした。
播但の境をなす生野峠を越えると、開坑から1200年の歴史を誇るかつて“佐渡の金・生野の銀”と言われた全国屈指の鉱山まち生野の町です。明治政府は、近代化を先導する模範鉱山として、ここ生野を西洋の技術を導入した日本初の官営鉱山とし、動力の機械化や火薬による採掘など「西洋技術による鉱山の近代化」を短期間に成し遂げました。
生野から分水嶺を越え北へ24kmとつづく“鉱石の道”、“銅の神子畑・明延、金の中瀬”へと歩を進めます。風格ある日本最古の全鋳鉄製の橋を過ぎ、東洋一の規模を誇った神子畑の鉱石の選鉱場、さらにその先は明延鉱山。総延長550kmにもおよぶ坑道から鉱石を運び出すトロッコ軌道をめぐらせ、地下1,000mの奥底へとつながっています。明延のお町には、共同浴場跡や映画館跡が残り、当時の面影を残します。
また神子畑と明延間には、鉱石と人を運んだ「明神電車」が走っていました。この電車は一円の運賃だったことから「一円電車」と親しまれ、今に姿を残しています。
飾磨港と生野・神子畑・明延・中瀬の鉱山群を結ぶ“銀の馬車道 鉱石の道”は、明治時代に出現した生産から輸送・物流に及ぶ「海と山を結ぶ鉱業コンビナート」でした。この道には、多く・速く・遠く運ぶための思想と先端技術が詰め込まれ、近代化に舵を切った鉱山経営の仕組みがほぼ完全に残されており、その姿は現在の暮らしを支える「ものづくり」の始まりの様子を示しています。
播但貫く73kmの轍をたどると、鉱物資源大国たらしめ近代化を推し進めた先人の国際性と革新の気質と生活に触れることができます。