戦国時代の大名・織田信長の重臣の一人で「本能寺の変」でも知られる『明智光秀』。天正3年(1575)から丹波平定に着手し、その後福知山城を築きました。そのほかにも北近畿エリアには、光秀の盟友「細川藤孝(幽斉)」や光秀の娘「細川ガラシャ」など、ゆかりの地が点在しています。2020年大河ドラマの主人公・明智光秀の足跡を辿る旅へ出かけましょう。
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Vol.02|黒井城跡・興禅寺・柏原八幡宮(兵庫県丹波市)
黒井城跡
「丹波の赤鬼」と恐れられた赤井直正の居城であった黒井城。標高356mの猪ノ口山全体が要塞となった戦国屈指の山城で、頂上からは春日地域を一望できます。別名「保月城」と呼ばれ、本丸をはじめとする山頂の曲輪群は堅固な石垣で囲まれており、戦国期山城の典型として高い評価を受けています。平成元年には国の史跡に指定されました。織田信長から「丹波攻め」の命を受けた明智光秀を散々苦しめたのが、黒井城での攻防戦です。黒井城跡の登城路はゆるやかコースと急坂コースの2つがあり、山頂からは黒井城下を一望できる他、秋から冬にかけての早朝、気象条件が合えば、雲海を見ることもできます。
※登山に適さない靴では、滑りやすくケガの恐れがあります。安全装備をしっかりして入山してください。
※登山に適さない靴では、滑りやすくケガの恐れがあります。安全装備をしっかりして入山してください。
住 所
〒669-4141 兵庫県丹波市春日町黒井
お問い合わせ
道の駅 おばあちゃんの里 情報発信コーナー 080-2548-0432
丹波市観光協会 あおがき観光案内所 0795-87-2222
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興禅寺
黒井城の下館跡とされ、今でも水をたたえた七間濠、石垣など、戦国期の居館の佇まいを残しています。城の城主は戦時には黒井城にこもりますが、平時はふもとにある下館で政務を行っていました。丹波攻めの後、光秀の重臣・斎藤利三が城主となり、娘のお福(のちの春日局)がここで生まれ、3歳まで育ったとされています。境内にはお福が腰をかけて遊んだと伝わる「腰かけ石」や、初湯に使ったと伝わる「産湯の井戸」があります。
住 所
〒669-4141 兵庫県丹波市春日町黒井2263
お問い合わせ
道の駅 おばあちゃんの里 情報発信コーナー 080-2548-0432
丹波市観光協会 あおがき観光案内所 0795-87-2222
丹波市観光協会 あおがき観光案内所 0795-87-2222
柏原八幡宮
京都石清水八幡宮の別宮として創建されましたが、明智光秀軍が行なった丹波攻略の際、社殿が焼き払われ、光秀軍の本陣が置かれたとされています。天正13年に羽柴秀吉が当時の黒井城主であった堀尾茂助吉晴(ほりおもすけよしはる)に命じて、現在の社殿(国指定重要文化財)が再建されました。2月17日・18日の「厄除大祭」では多くの人がお参りに訪れ、「柏原の厄神さん」の通称で親しまれています。
住 所
〒669-3309 兵庫県丹波市柏原町柏原3625
お問い合わせ
丹波市観光協会・かいばら観光案内所 0795-73-0156
柏原八幡宮 0795-72-0156
柏原八幡宮 0795-72-0156
兵主神社
黒井城から千丈寺砦へ続く丘陵の南山麓に位置して、聖武天皇の天平18年(746)創建の全国で19社ある兵庫(つわものぐら)の守護神として鎮祭された黒井の兵主神社は、丹波国一社として登載された延喜式内社で、公卿武家や丹波・但馬・播磨をはじめ各地の人々の崇敬篤く、特に戦国時代より疱瘡(天然痘)が治るといわれ公卿や貴族もお参りしたといわれます。また、明智光秀の丹波攻めで光秀を苦しめた、赤井(荻野)直政の着用した兜も寄進され、関白近衛家との関係を示す神社宝物合わせて保存されています。
住 所
〒669-4141 兵庫県丹波市春日町黒井4-1
お問い合わせ
道の駅 おばあちゃんの里 情報発信コーナー 080-2548-0432
丹波市観光協会 あおがき観光案内所 0795-87-2222
丹波市観光協会 あおがき観光案内所 0795-87-2222