戦国時代の大名・織田信長の重臣の一人で「本能寺の変」でも知られる『明智光秀』。天正3年(1575)から丹波平定に着手し、その後福知山城を築きました。そのほかにも北近畿エリアには、光秀の盟友「細川藤孝(幽斉)」や光秀の娘「細川ガラシャ」など、ゆかりの地が点在しています。2020年大河ドラマの主人公・明智光秀の足跡を辿る旅へ出かけましょう。

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Vol.04|宮津城下町・細川ガラシャ夫人像・光秀の首塚(京都府宮津市)

宮津城下町

丹後国を治める細川藤孝(幽斎)の息子・忠興の元へ嫁いだ「細川ガラシャ」。藤孝は天正8年に織田信長から丹後国を拝領し、京都府宮津市などに城下町を築きました。宮津城下町は旧家や情緒あるまち並みが見どころです。漆喰の白壁に格子戸の旧家や、南西に広がる寺町などまち歩きにぴったり!

住 所
〒626-0014 京都府宮津市河原

宮津城太鼓門

太鼓門は、宮津城南西隅の桝形虎口の門と言われています。宮津城がなくなった後、太鼓門は幾度か移設されましたが、今は宮津市立宮津小学校の正門として活用されています。この「太鼓門」が、当時の宮津城の姿を確認出来る建造物として知られています。

住 所
〒626-0047 京都府宮津市字外側2508
お問い合わせ
宮津市産業経済部商工観光課 0772-45-1625

細川ガラシャ夫人像

平成25年にガラシャ生誕450年を記念して「カトリック宮津教会」に隣接する大手川ふれあい広場中央に建立されました。宮津城を眺め細川家と宮津市民の幸せを願った細川ガラシャ(玉)の姿が「祈り」をテーマに表現されています。

住 所
〒626-8501 京都府宮津市字柳縄手344
お問い合わせ
宮津市産業経済部商工観光課 0772-45-1625

光秀の首塚(盛林寺)

盛林寺(せいりんじ)には明智光秀の首塚があり、山崎の合戦後に娘のもとに届けられた光秀の首を供養されたものと伝えられています。

住 所
〒626-0035 京都府宮津市字喜多696
お問い合わせ
盛林寺 0772-22-4481