戦国時代の大名・織田信長の重臣の一人で「本能寺の変」でも知られる『明智光秀』。天正3年(1575)から丹波平定に着手し、その後福知山城を築きました。そのほかにも北近畿エリアには、光秀の盟友「細川藤孝(幽斉)」や光秀の娘「細川ガラシャ」など、ゆかりの地が点在しています。2020年大河ドラマの主人公・明智光秀の足跡を辿る旅へ出かけましょう。

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Vol.05|田辺城跡・桂林寺(京都府舞鶴市)/熊川宿(福井県若狭町)

田辺城跡(舞鶴公園)

明智光秀と共に丹後を平定した細川幽斎が築城した田辺城。関ヶ原の前哨戦であった「田辺籠城(ろうじょう)戦」では、1万5千の西軍に囲まれ、幽斎はわずか500人で籠城し戦いました。このとき妻の麝香(じゃこう)も具足をつけて戦ったといわれています。現在この城の本丸跡は、舞鶴公園となり市民の憩いの場となっています。また、田辺城資料館では歴史資料の写真パネル、模型、ビデオなどでわかりやすく紹介しています。

住 所
〒624-0853 京都府舞鶴市南田辺15-22
時 間
資料館:9~17時
入館料
200円
お問い合わせ
田辺城資料館 0773-76-7211

桂林寺

田辺籠城戦で圧倒的な戦力差の中、桂林寺の大溪和尚が弟子を率いて細川幽斎に味方したことから勲功をたたえ、細川忠興から仏涅槃図や梵鐘が贈られました。

住 所
〒624-0936 京都府舞鶴市紺屋69
お問い合わせ
桂林寺 0773-75-0168

熊川宿

小浜から京都に至る「鯖街道」沿いにある熊川宿。細川幽斎の妻である麝香は、熊川城主・沼田光兼の娘として生まれました。信長の朝倉攻めの際に、光秀が書いた手紙が残されており、光秀が熊川に着陣したことを示しています。その後若狭国主となった浅野長政によって、人と物が行き交う街道の要所として発展したのが熊川宿です。熊川宿にある得法寺には、沼田氏の供養塔も祀られています。平成27年には、熊川宿を含む鯖街道が「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国若狭と鯖街道~」として日本遺産に認定されました。

住 所
〒919-1532 福井県三方上中郡若狭町熊川
お問い合わせ
若狭町観光未来創造課 0770-45-9111